言葉と心根

                           校長  小 林 香 織

 

 令和6年度も前期がもうすぐ終わろうとしています。この半年、様々な行事や学校の取組にご協力いただき、本当にありがとうございました。10月からの後期も何かとお世話になります。よろしくお願いいたします。

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 さて、最近インターネットで、次のような記事を目にしました。

公園に親子Aが来た。工事の若いお兄さんが謝る。子供は残念そうにうなだれる。すると母親が「せっかく来たのに。なんで昼間にやるんだろうね」と言う。すると、その横を「寒い中、お疲れ様です」と過ぎ去る別の親子B。

 これを読んで、皆さんはどちらの母親の言葉に共感しましたか?

 『子どもを遊ばせたかった』という気持ちの強い母親Aでしょうか?それとも『子どもたちのためにありがとう』という気持ちの母親Bでしょうか。

 この記事を書いた人は次のようにまとめていました。

植物は日光で育ち、子供は言葉で育つとしたら、後者の方がきっときれいな花が咲くと思う。

 どんなにきれいな洋服を着たり、かっこいい車に乗っていたり、高い肩書きがついていても、言葉がぞんざいだったり汚かったりすると、一瞬でその人の価値は地に落ちてしまいます。

 なぜなら、とっさに口から出る言葉はその人の心根の鏡だからです。日頃から感謝の気持ちをもって物事にあたる人の言葉は、優しい言葉になります。自分中心の心根で物事にあたる人は、とっさの時も自分中心の言葉が出ます。

 皆さんはどちらでしょうか?そして、子どもたちをどちらの人のように育てたいでしょうか?

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 言葉は人を温かく包み込むこともできる反面、選択を間違えると、人に突き刺さる凶器にもなります。言った方は大して気にしていなくても、言われた方は、ともすると一生気にしたり恨んだりして傷が癒えないまま…ということもあります。

 子供たちを取り巻く大人の浴びせる言葉が、子供たちを優しい心根の持ち主にするか、嫌みな心根の持ち主にするかを左右します。直接子供にかけた言葉ではなくても、日常生活の中で取り交わされる言葉を、子供たちはその心根と一緒に吸収していきます。

 学校でも家庭でも地域でも、子供たちにかける言葉に、ちょっとだけ気をつけていきたいですね。