2022年3月の記事一覧

令和4年2月28日号「鶴女房(鶴の恩返し)」

 鶴女房-昔、傷ついた鶴を助けたひとりの貧しい若い男の家へ、美しい娘がきて妻になり、珍しい織物を織って恩返しをする。作業中は機場を見ないよう約束をしたが、男がその約束をやぶったことで、正体を知られた鶴は鶴の姿に戻り男のもとから去ってしまった…。
 日本の民話の一つです。地域によってその内容や設定が異なり、鶴を助けたのが老夫婦というのもあれば、老翁の一人暮らしであったりもします(鶴の恩返し)。保護者や地域の皆様の中には木下順二氏の「夕鶴」(教科書に掲載されていた時期もあるので)を思い浮かべる方もいるかもしれません。
 兵庫県市川町の鶴居地区には、この鶴女房の後日談ともいうべき伝説が伝わっているそうです。
 -鶴が去った男のもとには、水を入れた皿に針をおいたものが残されていた。これを姫路・書写山の座頭(僧)に見てもらうと、「針は播磨を、水と皿は皿池を指す」と教えられた。妻となっていた娘に会いたいと願い、男は播磨の国にある皿池へと向かい、そこで鶴と再会した。しかし鶴は「お幸せに」と告げて姿を消した…という話。
 ここで登場する播磨の皿池が、現在の市川町鶴居地区にある「皿池」のことで、地元ではこの話を地域おこしに役立てようと取組が行われているそうです。
 この市川町にある市川町立鶴居中学校とは、同じ名前の学校として平成12年から鶴居村中学生派遣交流事業の受入で大変お世話になってきました。現在の2・3年生はコロナウイルス感染性の影響で訪問ができませんでした。そして残念なことに市川町の鶴居中学校は今年度いっぱいで統合となり、同じ名前の学校がなくなってしまいます。本当に残念です。
 平成30年に私は前任校の幌呂中学校の校長として、現在の高2の生徒たちとともに、2泊3日の旅程で市川町を訪問しました。このときは、2日目の夜に台風20号が兵庫県に上陸、縦断し、日中の気温が35℃を超える猛暑日が続く中での旅でした。市川町を訪れたとき、市川町役場や鶴居中学校の生徒、先生方、保護者の方々、そして同窓会の方々から受けた心温まる歓迎は、事前に話は聞いていたものの、想像以上のもので、その「おもてなしの心」に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 さらに私にはこの旅で忘れられない出来事があります。最終日の伊丹空港から羽田空港への飛行機が、前日の台風の影響で1時間10分遅れで出発。羽田に到着したときには、乗り継ぐ予定の飛行機はすでに釧路に向かって飛び立ってしまっていました。混乱の中、その後は、急遽、鶴のマークの釧路行き最終便を添乗員さんが手配し(大奮闘でした)、無事に鶴居村に帰ってくることができました。空港内で時計を見ながら添乗員さんからの連絡を待つ私に、声をかけ事情を知った航空会社の8人のスタッフの方が、すぐに私たち専用の手続きカウンターを設置してくれました。そして出発時刻を過ぎているのに笑顔で私たちを迎えてくれた飛行機の客室乗務員の方々、いやな顔を一つも見せずにいてくれた他の乗客の人たち。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 「恩返し」ににた言葉で「恩送り」という言葉があります。受けた親切や善意を直接相手に返すのではなく、ほかの誰かに送ること。この旅でお世話になった市川町の皆さん、市川町立鶴居中学校の皆さん、航空会社の方々、添乗員さん、そして私たちをこの旅に送り出してくださった鶴居村教育委員会をはじめ、鶴居村の関係者の皆様には、今でも感謝の気持ちでいっぱです。私が受けたこの恩を、機会あるごとに伝えていくこと、これが私ができる「恩返し」と「恩送り」の1つだと思っています。