学校だより

令和4年2月28日号「鶴女房(鶴の恩返し)」

 鶴女房-昔、傷ついた鶴を助けたひとりの貧しい若い男の家へ、美しい娘がきて妻になり、珍しい織物を織って恩返しをする。作業中は機場を見ないよう約束をしたが、男がその約束をやぶったことで、正体を知られた鶴は鶴の姿に戻り男のもとから去ってしまった…。
 日本の民話の一つです。地域によってその内容や設定が異なり、鶴を助けたのが老夫婦というのもあれば、老翁の一人暮らしであったりもします(鶴の恩返し)。保護者や地域の皆様の中には木下順二氏の「夕鶴」(教科書に掲載されていた時期もあるので)を思い浮かべる方もいるかもしれません。
 兵庫県市川町の鶴居地区には、この鶴女房の後日談ともいうべき伝説が伝わっているそうです。
 -鶴が去った男のもとには、水を入れた皿に針をおいたものが残されていた。これを姫路・書写山の座頭(僧)に見てもらうと、「針は播磨を、水と皿は皿池を指す」と教えられた。妻となっていた娘に会いたいと願い、男は播磨の国にある皿池へと向かい、そこで鶴と再会した。しかし鶴は「お幸せに」と告げて姿を消した…という話。
 ここで登場する播磨の皿池が、現在の市川町鶴居地区にある「皿池」のことで、地元ではこの話を地域おこしに役立てようと取組が行われているそうです。
 この市川町にある市川町立鶴居中学校とは、同じ名前の学校として平成12年から鶴居村中学生派遣交流事業の受入で大変お世話になってきました。現在の2・3年生はコロナウイルス感染性の影響で訪問ができませんでした。そして残念なことに市川町の鶴居中学校は今年度いっぱいで統合となり、同じ名前の学校がなくなってしまいます。本当に残念です。
 平成30年に私は前任校の幌呂中学校の校長として、現在の高2の生徒たちとともに、2泊3日の旅程で市川町を訪問しました。このときは、2日目の夜に台風20号が兵庫県に上陸、縦断し、日中の気温が35℃を超える猛暑日が続く中での旅でした。市川町を訪れたとき、市川町役場や鶴居中学校の生徒、先生方、保護者の方々、そして同窓会の方々から受けた心温まる歓迎は、事前に話は聞いていたものの、想像以上のもので、その「おもてなしの心」に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 さらに私にはこの旅で忘れられない出来事があります。最終日の伊丹空港から羽田空港への飛行機が、前日の台風の影響で1時間10分遅れで出発。羽田に到着したときには、乗り継ぐ予定の飛行機はすでに釧路に向かって飛び立ってしまっていました。混乱の中、その後は、急遽、鶴のマークの釧路行き最終便を添乗員さんが手配し(大奮闘でした)、無事に鶴居村に帰ってくることができました。空港内で時計を見ながら添乗員さんからの連絡を待つ私に、声をかけ事情を知った航空会社の8人のスタッフの方が、すぐに私たち専用の手続きカウンターを設置してくれました。そして出発時刻を過ぎているのに笑顔で私たちを迎えてくれた飛行機の客室乗務員の方々、いやな顔を一つも見せずにいてくれた他の乗客の人たち。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 「恩返し」ににた言葉で「恩送り」という言葉があります。受けた親切や善意を直接相手に返すのではなく、ほかの誰かに送ること。この旅でお世話になった市川町の皆さん、市川町立鶴居中学校の皆さん、航空会社の方々、添乗員さん、そして私たちをこの旅に送り出してくださった鶴居村教育委員会をはじめ、鶴居村の関係者の皆様には、今でも感謝の気持ちでいっぱです。私が受けたこの恩を、機会あるごとに伝えていくこと、これが私ができる「恩返し」と「恩送り」の1つだと思っています。

 

 

令和4年2月1日号「「今〇ら」~どんなひらがな一文字を入れますか?~」

 1月最後の朝会は、オンラインによる朝会でした。その朝会の中で次のような話をしました。


 「今○ら」~この○の中にどんなひらがな一文字を皆さんなら入れますか?
 「か」なら、希望や期待といったイメージの言葉になり、「な」であれば、決意や勇気、一歩前へ踏み出すといったイメージになります。そして「さ」なら、あきらめや後ろ向きのイメージの言葉になります。
 新しい年を迎えて1ヶ月がたちました。皆さんの「今」はどれでしょうか。「今さら」とあきらめの気持ちを持つのではなく、「今から」「今なら」という気持ちを大切にして、残り2ヶ月、過ごしていってほいたします。


 江戸時代末期の長州藩(現在の山口県)に吉田松陰という人物がいました。目標に向かう自分の気持ちを志とし、その志を大切にしながら、日々実行していました。そして「志定まれば、気盛んなり」という言葉を残しました。志とは、心に決めた目標に向けて進もうとする気持ち、決心のことです。したがってこの言葉の意味は、目標への気持ちが志としてはっきりすれば、おのずとやる気や意欲が生じるということです。
 加えて吉田松陰は、目標を決めるだけでは十分ではない、なぜその目標を定めるのか、その目標を達成する意味は何か、と目標への意味を自分で明らかにしたり、価値あることだろうかと自分でしっかり考えたりすることが大切と教えていたようです。つまり気持ちが入り強い意志があれば、目標について志を持ち、気持ちは高まり盛んになる、そして自分という人間の立ち位置が定まるというわけです。
 さらに吉田松陰の言葉の中に「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術を試すべきである。何も着手に年齢の早いおそいは問題にならない」というものもあります。志を決め実行する行動力は何歳になっても持つことができ、いつでも人はやり直しができるということです。まさに、「今さら」ではなく「今から」「今なら」ということですね。
 後期後半がスタートして授業日数でいうとすでに12日が過ぎました。年度終了の節目までは3年生は29回(入試の関係で少なくなる人もいます)、1・2年生は35回の登校です。生徒たちには冬休み前の集会で「一年の計は元旦にあり。節目でしっかりと目標を立ててほしい」と話をしました。残り2ヶ月 間、新しい学校や新しい学年に向けて、志と強い意志を持って過ごしていってほしいと思います。

 オミクロン株の急速な広まりにより、コロナウイルス感染症が拡大、まん延防止等重点措置となりました。学校では行事の延期など、様々な感染症対策を行いながらの教育活動となります。引き続き、保護者、地域の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

 

 

令和3年12月24日号「笑顔で過ごす」

 12月21日の朝は、雪の中の登校でした。玄関前を職員が作業をしていたところ、登校してきた生徒たちが一緒になってスノーラッセル(スコップ)を持ち、除雪を手伝ってくれていました。生徒たちが主体的に行動する姿がとてもうれしくそして誇らしく思いました(ただ、道具には数に限りがあります。自分もと思いながら歩いていた生徒もいたと思っています。)。

 明日から21日間の冬休みになります。冬休み中は、大晦日やお正月などの年末年始の行事もあり、ご家族で過ごす時間も多くなると思います。休みに入る前の12月集会では生徒たちに「おせち料理」について話をしました。日本には素晴らしい伝統文化があります。テレビ番組やインターネット、SNS等でも関連する情報が多く流れます。生徒たちにはぜひ「日本のよさ」について考え、実感しながら、家族で楽しい時間を過ごしてほしいと思っています。
 さて、新しい年を迎えるとき、「笑う門には福来たる」という言葉があります。「門」は家庭や家を表しています。「いつも笑いが絶えない家庭には、幸運が訪れる」という意味になります。お正月遊びの「福笑い」が語源のようです。このことについて次のような記事を見つけました。


箸を横にして歯でかみ、笑顔に近い表情をつくる。すると脳内でドーパミン系の神経活動に変化が出てくるという。ドーパ
ミンは快楽に関係する。人は楽しいから笑うが、笑顔をつくるから楽しくなるという逆の因果関係もあるようだ。同じように箸をかみながら漫画を読むと、より面白く感じるという実験結果もある。…(略)…、笑ってみると少しだけ前向きになる気がするのだ。…(略)…、笑い顔には周りに「感染する」という研究もあるそうだ。(池谷裕二著「脳には妙なクセがある」)

 

 さらに調べてみると「笑顔の方がチョコレートより脳内により多くの喜びを引き起こす。笑顔1つで2,000個ものチョコレートバーと同じレベルの脳内刺激を生み出す。」や「作り笑いでさえ気分上昇へとつながる。笑顔をつくることで喜びを感じるようになる。」「笑顔は寿命にも関わる。野球選手の移ったベースボールカード。笑顔で写っている選手の平均寿命が80歳。そうでない選手は73歳。ということは、笑顔は7年多く命を延ばしてくれる」などなど。あらためて「笑顔」の力には驚かされます。「感染」というと苦しくて嫌な気持ちになりますが、笑顔の感染は広がってほしいところです。マスクをしていても笑顔にはなれる、笑顔は伝わるはずです。

 新型コロナの収束が見通せない状況が続いています。学校は感染症対策を講じた上で「できる方法」を考え、前向きに教育活動に取り組んできたところです。保護者や地域に皆様には、従来とは異なる対応となることもあり、ご迷惑やご負担をおかけすることが多かった1年だったと思います。皆様のご理解とご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。                それでは笑顔でよい年をお迎えください。

 

 

令和3年12月2日号「牛がいて、タンチョウもいる」

 12月3日(金)にタンチョウ越冬分布調査が行われます。本校からも1・2年生がこの調査に参加します。調査は14地点。3~4名で班を編制し2年生が班長となり、バス(一部徒歩)で移動し調査を行います。この調査は「タンチョウの越冬分布・規模を把握する調査活動を通して、基本的なタンチョウ保護の歴史について学ぶ」ことをねらいとして実施されます。そこで私も改めて鶴居村史などに目を通し、タンチョウ保護の歴史について調べてみました。
 タンチョウは明治時代の乱獲、生息地である湿原の開発によって生息数が激減し、絶滅したと思われていました。しかし大正13(1924)年に釧路湿原で十数羽が再発見されその保護が検討されるようになり、昭和10(1935)年、釧路湿原の一部が「釧路丹頂鶴繁殖地」として国の天然記念物に指定されました。鶴居村が鶴の居る村として舌辛村から分村独立したのがちょうどこの頃(1937年)のことです。そして昭和27(1952)年には国の特別天然記念物に指定され、国や自治体による保護活動も講じられるようになりした。
 この昭和27年は今回実施するタンチョウ越冬分布調査が始まった年でもあります。このときの鶴居村を含むタンチョウの生息数は33でした。そして、猛吹雪の中、数羽のタンチョウが畑に置かれた冬の保存用トウモロコシを食べに来ているのを、幌呂小学校の児童が発見し、給餌に成功したのもこの年です。その後、各所で給餌活動が行われるようになりました。昭和37(1962)年から下雪裡小学校で子供たちと一緒に渡部トメさん(故人)が給餌を行っていた「鶴見台」、昭和41(1966)年から中雪裡で給餌を始め、昭和62(1987)年には自らの土地を提供し、日本野鳥の会と共同運営で「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」を設立した伊藤良孝さん(故人)など、多くの村民の方々がタンチョウ保護に力をそそぎ、冬の餌不足が解消されたことで生息数は増加、1000羽を超える数となっています。
 こうしたタンチョウ保護の取組が進むことで、タンチョウやそれを見ようとする観光客の畑への侵入やタンチョウによる食害といった農業被害、タンチョウの人慣れによる車や電線への接触事故などの問題もおきています。また、国はタンチョウが自然状態で安定的に存在できるよう繁殖地及び越冬地の分散を促す「タンチョウ生息地分散化行動計画」を策定し、平27(2015)年から国の委託給餌場(サンクチュアリや鶴見台など)の給餌量を減らす取組を行っています。令和(2019)年には、村内の小中学生も参加しての「タンチョウフォーラム」が開かれ、タンチョウとの共生に向けた取組が話し合われました。そこではタンチョウ保護の発祥地として責任と気概を持ってタンチョウ保護を続けるとありました。タンチョウの保護と観光、共存のあり方が新たな課題となっているようです。

 鶴居村史の中に「牛がいて、タンチョウもいるのが鶴居の 風景」とありました。生徒たちには鶴居村民として、タンチョウに対する関心をしっかりと持ち、この鶴居の風景のこれからについて考えてほしいと思っています。

 

 

令和3年10月29日号「マスクを着けると変わること」

 朝夕はめっきり冷え込み、釧路地方でも氷点下を記録するなど、秋も深まってきました。

 10月2日に行われた第60回鶴中祭は、コロナ禍での開催となり、保護者の方々の観覧を学年別に制限させていただきましたが、生徒たちの発表を直接見ていただくことができ、とてもうれしく思っています。今年は昨年の内容に加え、声を発することなくできる、体育(ダンス)と音楽(リズム)の授業がコラボした生発表をステージ上で行いました。「コロナ禍だからできない」ではなく、「コロナ禍でも工夫してできる」取組だったと思っているところです。全校生徒、先生方、そして保護者の皆様に感謝の鶴中祭でした。

 10月16日から3年生は修学旅行に行ってきました。5月、そして8月と2度の延期。先生方は何度も計画を立て直し、実施に向けて準備を進めてくれ、出発の日を迎えました。2日目のルスツでは早朝に初雪。しかしその後は晴れ間も見え、遊具に乗ることもできました。気温が低かったものの、他の屋外での活動は雨にあたることもほとんどなく、たくさんの体験をすることができました。保護者の方々のもとを離れ、クラスの仲間と過ごした4日間は生徒たちにとって貴重な時間となりました。実施に向けて支えてくださった鶴居村、鶴居村教育委員会、旅行会社、受け入れの施設、保護者の皆様、先生方に感謝の旅行でした。
 また、10月5日の一日防災学校(1年生)、19・20日の職場体験学習(2年生)では、地域の皆様に大変お世話になりました。ありがとうございました。
 さて、話は変わりますが、文化庁が行った「令和2年度国語に関する世論調査」の結果が、先日、公表されました。この調査は平成7年度から、社会状況の変化に伴う日本人の国語に関する意識や理解の現状について、全国の16歳以上の個人を対象に毎年実施されているものです。今回の調査では、「生活の変化とコミュニケーションに関する意識」についての質問がありました。その結果のいくつかを紹介したいと思います。

 「マスクを着けると話し方や態度などが変わることがあると思うか」に「変わることがあると思う」と答えた人が62. 4%でした。また、「変わることがあると思う」と答えた人に対して「マスクを着けると変わることがあると思う点」を聞いた(複数回答)ところ、下の通りでした。

                                 (画像出典:文化庁)

 マスク着用により、会話のスタイルは変わってきています。マスクを着用していないときと比べて口元が見えない、表情がわかりにくい、声が通りにくいなどのマイナス面があります。
 現状では感染予防のためにマスク着用は必要なことで、変化した会話のスタイルはなかなか元に戻せそうにありません。それが「新しい日常」となっています。その中でよりコミュニケーションを円滑に進めるためには、相手意識をしっかり持ち、さらには上記の「マスクを着けると変わることがあると思う点」の選択肢を今後の生活に生かしていくことが大切なのだと思っているところです。

 

令和3年9月30日号「節目と見えないもの」

 コロナウイルス感染症拡大防止の緊急事態宣言により、9月25日に予定していた鶴中祭を1週間延期し、10月2日に行うこととしました。この日は前期の最終日。翌週の10月4日には前期終業式と後期の始業式を兼ねた式を行います。生徒たちにとっては、鶴中祭が終わり後期が始まるという大きな節目となります。
 この「節目」について、4月の始業式で2・3年生に「竹の話」ということで次のような話をしました。

 

 北海道ではあまり見ることはできませんが、竹は直径が10cm程度であるにもかかわらず、10mを超える高さまで成長し、しなやかでとても強いものです。その理由は「節目」にあります。「節目」がなければ、風が吹いたり雪が積もることで、竹は折れてしまいます。でも、「節目」があることで、竹は揺れを吸収するなどして、折れることなく、まっすぐに伸びていくことができます。この「節目」、私たちの生活に置き換えて考えることもできます。皆さんにとって、この4月は大きな「節目」の一つです。新しい学年に向けての意識を持ち、改めてこれを頑張ろうと目標をたてていくと思います。このとき、これまでの生活を振り返ってみて、ここを変えていきたい、もっとよくしたい、などと考えることで、自分の中に「節目」ができます。
 3年生は学校の最上級生として、学校の中心となって果たす役割のこと。自分自身の進路決定のこと。2年生は中堅学年として、3年生や新しく入ってくる1年生とどのような学校生活を送るのか。自分をさらに磨き、充実させるために必要なことは何なのか。これらのことについて、思いをめぐらし、考えることで、その後の毎日の行動が大きく変わっていきます。ぜひ、しっかりとした皆さん一人一人の節目をつくり、竹のようにしなやかに、そしてまっすぐに成長していってほしいと思っています。頑張る皆さんを先生方はしっかりと応援します。一緒頑張りましょう。

 

 この話のように、今は前期の自分を振り返り、後期の自分を考えるときです。ここでもしっかりとした「節目」をつくってほしいと願っています。また、この竹については、次のような話もあります。

 

 竹は、最初の4年間は殆ど伸びることもなく、あたかも成長が止まってしまったかのように見える。しかし、5年が経つと一気に成長し、ぐんぐん伸びる。いったい最初の4年の間、竹は何をしていたのでしょう。実は、その間の竹は成長が止まったのではなく、根が大きく成長しているのだそうです。まずしっかりと根をはり、太く長い幹を支えるための基盤を作り、頑丈な基盤ができたとたんに一気に伸びる。それが5年後の竹だったのです。根がしっかりしているからこそ大きく成長した後も、根こそぎ倒れたりすることがないのです。

 

 私たちは、ともすると見える部分にばかり目がいきがちです。見える部分が成長しない(変わらない)ことに不安を感じたり、見える部分にばかり目を奪われ、見えない部分をおろそかにしてしまったりすることがよくあります。

 子供の成長に竹の根に相当する見えない部分(基盤)があるとすれば、私は、①基本的な生活習慣、②豊かな情操、③他人に対する思いやりや善悪の判断などの基本的倫理観、④自立心や自制心、⑤社会的なマナーなどであると考えます。

 こうした基盤がしっかりすることで、積極的に他者と関わり、意欲的に学んだり、自ら運動に親しんだりして自己を確立し、大きく成長していきます。つまり、見えない部分の成長が、見える部分を変えていくということです。中学生という時期は、見えない部分と見える部分の両方が育つ時期だと思います。
 今後も、家庭や地域の方々と連携をし、しっかりとした頑丈な根を張らせ(育て)、毎日の授業や諸活動で太く長い幹
と節を作って(鍛えて)いきたいと考えています。

 

令和3年9月1日号「距離<ディスタンス>」

 北海道では8月27日に3回目となる「緊急事態宣言」が出されました。25日に出発を予定していた修学旅行は、旅行期間中に宣言が出される可能性が高いということになったため、村教委、幌呂中学校と協議を行い、20日に出発を取りやめの判断をし、10月に延期することとしました。すでに旅行に向けての準備を進めている中で、生徒たちはもちろんのこと、保護者の皆様、関係する皆様には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。10月に感染がある程度落ち着き、旅行が実施できることを切に願っています。
 さて感染拡大防止には感染経路の1つである「飛沫」を防ぐことが重要です。くしゃみや咳で飛沫は飛び散ります。ですのでマスクの着用はもちろんですが、飛沫を防ぐ透明パーテーションを設置したり、「咳エチケット」が求められています。また、「3密」を避ける、「黙食」を行う、「換気」をするといったことも必要です。そして適切な「距離」を保つことが重要です。
 互いに手を伸ばして届く距離がだいたい2mで、自分の手の届く範囲が1m。感染症対策で日常の中で保つべき距離は2mと言われています。距離を意識した行動をとるときの目安になると思います。
 この「距離」について、子供たちの人間関係づくりを「ヤマアラシの距離」という興味ある言葉で説明している人がいます。

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 ヤマアラシは鋭いとげを体中に持っている動物です。そのヤマアラシが2匹いて、寒さをしのごうと寄り添おうとします。すると互いの体のトゲが互いの体を突っ突き合います。何度も何度も繰り返し、寄り添っては突っ突き合いながら、やがて互いのトゲとトゲの間をうまく調整し、その距離を巧みに測る術を身につけ、互いの体温で寒さをしのぐことができるようになるという喩えです。

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 生徒たちの人間関係においても、互いにぶつかり合いながら、時には痛い思いも体験しながら、互いに傷つけ合わない「距離感」や対応力を身につけていくものです。
  生徒たちは、教科の授業や学校行事、生徒会活動、部活動等の中で協働的な学び合いを行っています。また、地域の方々など周りの大人との関わりの中からも多くのことを学んでいきます。学校は知識を習得するだけではなく、心と体も大きく成長していく場です。他の仲間と協力して向上することの喜び、持てる力を最大限に発揮し一丸となって感じることのできる達成感や充実感といった「学校ならではの学び」があります。しかし一方で気持ちのすれ違いや緊張や疲労がたまることでのストレスなどで、人間関係の衝突も起きてしまったりもします。それが表面に現れる生徒もいれば、内面に閉じ込めてしまう生徒もいます。私たちは大きなトラブルやいじめ等につながらないよう、未然防止につとめていきますが、生徒たちの成長過程におけるこういった課題は、生徒たち自身の解決(折り合いをつける)を通して、豊かな人間性や社会性を育んでいくことにもつながると考えております。

私たち大人が、学校と家庭のそれぞれの特性、役割を生かし、連絡を取り合い、適切に支援しながら生徒一人一人が生き生きと過ごしていけるように見守っていくことが大切だと考えています。

 9月25日の「鶴中祭」に向けて取組が本格化しています。緊急事態宣言が出されている中です。「学校ならではの学び」充実していけるよう、感染症対策に基づいた物理的な距離の確保はもちろんのこと、生徒たちの心の距離を適切に保っていけるよう指導にあたっていきたいと考えています。

 

令和3年7月20日号「情報活用能力を育てる~GIGAスクール構想~」

                                                                                                                                 

 7月2日、体育大会を開催いたしました。コロナウイルス感染症拡大防止のため、これまで行っていた内容を見直しての実施でした。 生徒たちは、大会に向けた取組期間中、競技の練習、係活動の準備など主体的に活動していました。大会当日はその成果を発揮し、それぞれが「走跳投」で全力を出し切ることができたことはもちろんですが、懸命に走っている仲間を声を出して応援できないぶん大きな拍手で励ます姿、生徒会が考え接触機会を減らし感染症対策をしっかりと行った生徒会種目を笑顔で頑張る姿などが見られ、実施することができて本当によかったと思っているところです。保護者のみなさまも、平日であったにもかかわらず、感染症対策にご協力いただきながらの観覧、ありがとうございました。

 さて過日、生徒が学校で使用している一人一台タブレット端末を一度家庭に持ち帰らせ、ご家庭でのWi-fi接続確認を行っていただきました。お忙しい中、ご協力ありがとうございました。

 この一人一台タブレット端末(機種は自治体ごとに異なります)は、令和元年12月に国が示したGIGAスクール構想に基づき全国の学校で整備されたものです。GIGAとは Global and Innovation Gateway for All を省略したもの(携帯電話会社が使用しているギガとは異なります)で、この構想は「生徒1人1台のコンピュータ(タブレット)」と「高速通信ネットワーク環境(校内のWi-fi)」を整備し、教育ICT環境を整えるというものです。当初は令和5年度までの計画でしたが、コロナウイルスの影響により前倒しとなり、令和2年度中に整備を行い、令和3年度開始をめざすこととなりました。情報化が進む社会では10年先の状況を見据えて、「主体的・対話的で深い学び」をとおして、3つの資質・能力(「知識や技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力、人間性等」)をバランスよく育むことが求められています。あわせて、学習の基盤となる資質・能力として「言語能力」、「情報活用能力(情報モラルを含む)」、そして「問題発見・解決能力」を様々な教科等で育んでいくことも求められています。

 ここで学習の基盤として示されている「情報活用能力」とは、「情報そのものやICTをはじめとする情報技術を活用する力」のことです。IoT、ビッグデータ、AI等の技術革新が進む社会で求められる力でもあります。そのためには、情報手段(ICT機器等)の基本的な操作を文房具の利用と同様の必須スキルと捉えることが必要だと言われています。情報を収集・整理・発信する力、プログラミング的思考、情報モラルや情報セキュリティに関することについての学びも重要になってきます。このような学びをとおして「たくさんの情報の中から、必要な情報を見つける力、正しい情報を見抜く力」などを身につけていくことが大切です。中学校では技術・家庭科の技術分野の「情報の技術」領域で、プログラミングや情報セキュリティについての内容が充実しています。また学校では、「情報活用能力」を育てることと合わせて、これまで以上に教科指導におけるICTの活用が求められています。これまでも行われてきた教員が大型モニタに画像や音声、動画などの教材を映し出すことや、プレゼンテーションソフト等を用いて資料や作品を制作するといった活動に加え、発表や話し合いなどの協働学習でも活用が求められています。「GIGAスクール構想」→「オンライン授業」というイメージが強いかもしれませんが決してそうではありません。また、学校の全ての授業がICTによるものに変わるわけでもありません。ただ、GIGAスクール構想により教育ICT環境を整えることで、授業でICTを活用する場面が増え、学習効果を高めたり、時間を効率的に使えたり、子どもたち一人一人の学習状況を的確に把握して学びを充実させたり、「情報活用能力」を育てたりすることにつなげていくことが、今後は重要であると考えています。

 明日から27日間の夏休みになります。生徒たちには、それぞれこの休みの目標があると思いますが、感染症対策をしっかりと行いながら、充実した休みを過ごすとともに、心と体をゆっくりと休め、エネルギーを蓄えてほしいと願っています。

令和3年6月30日号「日本一あいさつも美しい村~あいさつで子供たちを育てる~」

 スローガン「日本一あいさつも美しい村」は、令和元年度の鶴居中学校区コミュニティスクールの熟議の中で、3校が共通のあいさつスローガンとして決められたものです。その具体的な取組として”のぼり”を作成し、各校であいさつ運動が行われています。地域の中であいさつが飛び交うことで、コミュニケーションがより活発になり、地域の皆様にはあいさつ運動とともに「ながら見守り」にもご協力をいただき、子供たちの交通安全や事故防止(不審者等)につながるものです。

 このあいさつ、これまでにもお知らせをさせていただいていますが、目指す生徒像を教職員、生徒、保護者・地域の皆様を共有していけるよう示している「今年度のキーワード」のうちの1つです。

 朝会講話で「あいさつ」について次のような話をしました。

 

Hello(ハロー:英語) Bonjour(ボンジュール:フランス語) Guten tag(グーテン・ターク:ドイツ語)

Ciao(チャオ:イタリア語) 你好(ニイハオ:中国語) 안녕하세요(アンニョンハセヨ:韓国語)

 これらの言葉、聞いたことがあったり、知っていたりする言葉で、すべて日本語に直すと「こんにちは」という意味です。

 他の国の言葉を学ぶとき、はじめに覚える言葉の1つがあいさつにかかわるものです。それだけあいさつは大事なことだということです。

 あいさつは「相手によい印象を持たれる」「会話のきっかけになる」「自分の緊張をほぐすこともできる」というメリットがあります。あいさつのポイントは「笑顔」で「ハッキリ」と「相手の目を見て」、そして自分からすることです。

 日本一あいさつの美しい村の中学生として、あいさつができる人になってください。

 

 

経済心理学を専門とするある大学教授が企業を例にあげて、次のようにあいさつの重要性について言っています。

〇あいさつが減るとコミュニケーションのきっかけがなくなり、情報交換が滞る。その結果、「うっかりミス」が多発す             る。

〇あいさつがさらに減り、あいさつの際に声を出さず、頭をさげるだけになると、多くの社員はストレスを感じ、「意識的に力を抜くこと」が増えたりして、会社組織がよくない方向へ向かってしまう。

〇さらに状態が悪くなって、頭を下げるどころか全くあいさつをしなくなるとどうなるか。あいさつは「攻撃性を減らす」という役割がある。良く思っていない相手でも、向こうから明るくあいさつされると怒りが薄れる経験は誰もがあるはず。あいさつが全くない組織では、相手や組織全体への怒りがあふれ続け、その組織はよくない方向に進み、ダメになってしまう。

 

 

 大人の社会であってもこれほどまでにあいさつは重要なものだと言うことです。

 また、あいさつは良好な人間関係を築き、「承認欲求」(認められたいという気持ち)を満たすといわれています。そしてそれは自己実現という「本当になりたい自分」に近づくための大きな原動力になるともいわれています。

 これから社会に出て、そこで生きる子供たちにとっては「あいさつ」は今も昔も重要なスキルなのです。

 今はコロナ禍でマスク越しのあいさつになってしまいますが、マスクをつけていても笑顔で気持ちのよいあいさつはできるはずです。ご家庭でもぜひ「おはよう、おやすみ、いってきます、いってらっしゃい、ただいま、おかえり」等、お互いの声かけを続けていただければと思います。保護者・地域の皆様も一緒になって「あいさつ」を通して、子供たちを育てていただければ幸いです。

 

 

令和3年5月31日号「自主性と主体性を育てる」

 コロナウィルス感染症に関わる緊急事態宣言が延長となりました。学校は感染症拡大防止のため、様々な制限の中で我慢の生活が続いていますが、今後もこれまでと同様、しっかりとした対策を講じていきながらも、生徒の意欲ややる気を引き出し、学校生活の中で身につけていく力を「目的」や「ねらい」をしっかりと定め、どういった場面でどのようにしてできるかを考え、教育活動を推進していきます。
 1ヶ月前のことになります。4月30日に前期生徒総会が行われました。書記局の活動計画の中に「Take Pride ~誇りをもつ~(自分のことや学校を誇れる生徒になってほしい)」と書かれていました。生徒総会の終わりの校長からの話の中で、このことについて次のような話をしました。

 生徒会活動は、みなさんが「主体的に」活動できるものの1つです。もちろん、何をしてもよいということではなく、周りのことを考えたり、先生方に相談したりすることも必要です。自分で考え、自分から行動し、自分たちでよりよい学校生活が送れるようにすることができると思います。
 書記局の目標に「誇りを持つ」というのがありました。とてもよいことだと思います。そこで考えてみました。そのためにはどんなことができればいいんだろうと。例えば、生活委員会の整列指導。委員の人が自分から進んで指示を出す。並んでいる人も、それをしっかりと聞く。そして的確な指示をだしてくれたおかげ、指示を聞いてくれたおかげと、互いに相手を思いやれることができれば、整列もしっかりとできるだろうし、結果、自分たちってすごい、やればできると思える、誇りを持てるようになるんじゃないかと思います。
 みなさんのこれからに期待しています。

 

 この話の中で出てくる「主体的」(主体性)は、昨年に引き続き、「今年度のキーワード」として示している4つの言葉のうちの1つです。この「主体性」に似た言葉で「自主性」という言葉がありますが、その違いは次の通りです。自主性は「やるべきことが明確になっていて、それを人に言われなくても率先して行う」こと。主体性は「何をやるか決まっていない状況で、目的を達成するために自分で考え判断し行動する」ことです。子供が毎日行っている家庭学習を例にすると、先生から出された宿題を家の人に「宿題やりなさい!」と言われなくても自分から進んでやるのは「自主性」、自分で考えた方法(授業の復習だったり予習だったり)で学習をするのが「主体性」ということになります。ただ、宿題では「主体性」が育たないのかというとそうとも限りません。やる内容は決まっていても、やる時間、やり方など、子供たちが自分で考えて決めることができる要素はたくさんあります。ですから「宿題」で自主性を伸ばし、さらに「主体性」を伸ばすこともできるはずです。
 「自主性」「主体性」を育てるのには時間がかかります。私たち大人も「こうしなさい」「ああしなさい」と言うことは簡単ですが、それでは主体性どころか自主性も育ちません。「やるべきこと」をはっきりさせる、さらには何のためにという「目的」をはっきりさせる、そして大人が「見守る」「待つ」ことで、子供たちに自分で考え、判断する場を数多く経験させることが大切だと思うのです。
 学校としても、子供たちの自主性や主体性を伸ばしていけるよう、様々な場面で子供が「自分で決める」ことができるよう指導にあたっていきたいと考えています。
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 生徒総会後の5月10日と24日の朝会。10日の整列は自分たちでやろうという姿が見られ、24日はそれに素早さが加わっていました。