学校だより

どうして家でも勉強しなきゃならないの?

                                校長  小 林 香 織

  鶴居村教育委員会研究指定校鶴居村立下幌呂小学校公開研究会を11月21日に行いました。村内・釧路管内の多くの先生方が参観し、子供たちの授業での学びとその進め方等について協議を行いました。この協議でいただいたご意見をもとに、子供たちにとってより実りある学びになるように更に研修を深めていきたいと思います。ありがとう ございました。

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 『学校で朝から夕方まで勉強しているのに、どうして家に帰ってまで勉強しなきゃならないんだろう?』

 世の中の子供たちの多くが、こんな疑問を1度は抱いたことがあるのではないでしょうか?なぜ復習をしなければならないのか?主な理由は2つあります。

 1つめは『脳細胞の仕組み』。

脳はニューロンという神経細胞からできています。その数は大脳で約160億個、小脳で約690億個、脳全体では約1000億個以上にもなります。何かを学ぶと、1つのニューロンから次のニューロンに軸索(じくさく)という突起が伸び、シナプスと呼ばれる部分から情報を電気信号として出力します。これを繰り返すことで次々とニューロンが繋がり、計算したり新しいことを覚えたり、理解したりしていきます。授業中に「あ!わかった!」という時は、このニューロンがシナプスによって繋がった状態です。しかし、ニューロンが1回繋がったとしても、非常に細い繋がりです。高速ネットワークにするためには、この繋がりを太く、密にしなければなりません。そのためには、何度も何度も繰り返して読んだり書いたりする必要があります。

 2つめは、『脳は「忘れる」ことも仕事』。

 脳に入った情報は、『海馬』というところに一度集められ、整理されます。この海馬は必要な情報といらない情報をわけて、「いらない」と判断したものは忘れるという作業をしています。何をもって海馬は必要か不必要かを判断しているのかというと、繰り返し入ってくる情報の量です。何度も何度も入ってくると『これは重要』と判断し、1度しか入ってこないと『重要ではないから忘れてもいい』と判断するのだそうです。ということは、大事な学習や覚えなければならないことは、何度も何度も繰り返してする必要があるということですね。

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 「頭がいい」とはどういうことなのでしょうか?わかりやすいのは「勉強ができる」。でもテストの点数は取れても、日常生活に応用できなかったり、相手が何を望んでいるかとかどんな気持ちでいるかを考えられなかったりすると、「頭がいい」とは言えないこともあります。『どんなに世の中が変化してもおいていかれることなく、常に自分自身(情報処理能力・記憶力・コミュニケーション能力・問題解決能力・創造力等必要な能力)をアップデートさせながら能力を発揮し、自分らしく生きることができる頭のよさ』が、今求められている「頭のよさ」でしょう。

 子供たちが納得して学習し、自分自身を磨いていけるように、できましたら親子で一緒に読み、お話していただけたらと思います。

小さな失敗から学ぶ『自己調整能力』

                            校長  小 林 香 織

 13日の学芸発表会は、高松副村長、村上教育長はじめ多くのご来賓の皆様、そして保護者、地域の皆様に来校いただき、本当にありがとうございました。子供たちも、多くのお客様を前に少々プレッシャーを感じていたようですが、そのプレッシャーがほどよい緊張感となり、いつも以上に頑張ることができていたと思います。

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 さて、本校では現在「令和の下幌呂型学校教育の創造~小規模校における個別最適な学び、協働的な学びを通して~」と題して、子供たちの生きる力を高めるための研究を進めています。この研究で主として取り上げている力は「自己調整能力」です。子供たちがこの力を身に付けるために、私たち教員はどのような単元を構想し、授業を進めていくかを研究しています。

 実はこの「自己調整能力」は学習だけでなく、普段の生活の中でも必要な力です。具体的に「子供に『忘れ物をしない』力をつけたい」というシチュエーションで考えてみましょう。ここでの「自己調整能力」は最終的に「子供が忘れ物をしないように気をつける力を身に付ける」ことです。子供が書写の時間に使う書道セットを忘れたときに「担任」がどのように対応するかを考えてみたいと思います。

 子供は担任の先生に「書道セットを忘れてしまいました。ごめんなさい。」と話すことでしょう。その言葉を受けての担任の先生はどうするでしょう?選択肢は3つ。

「A:お家の人に電話して持ってきてもらう」

「B:学校にある書道セットを貸す」

「C:書写の時間にどうするかを子供に問う」

 どの選択肢が、子供にとって「自己調整能力」を身に付けるきっかけとなるのでしょうか?

 

 私が担任ならば「C」を選択します。書道セットがなければ書写の時間は何もできませんから、書写はさせません。忘れ物をした責任は、子供自身がとるべきです。ですから、みんなが書道をしている間、なにかしらみんなと違うことをしなければなりません。恥ずかしいやら悔しいやらだと思いますが、この「恥ずかしい」「悔しい」という気持ちが、「次は忘れないぞ」という意欲に繋がります。

 「それじゃ、子供にとってその1時間は無駄じゃないですか?」という声が聞こえてきそうですが、無駄にはなりません。なぜなら、AやBだと「子供自身が努力をしなくても、周りの大人が手を貸すことでなんとかなってしまう。」という経験を積ませるだけにしかならず、子供には求める力がつかないからです。

 子供には「失敗から学ぶ」ということも必要です。失敗をしても責めず、かつ失敗を失敗で終わらせず、次に繋げてこそ「真の学び」があります。

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 親にしてみれば、「子供に失敗させたくない」という気持ちが大きいと思いますが、失敗しないように…と一生手助けをし続けられるでしょうか?あと一歩だけ踏み出せば良いように下準備を全て大人がしてハードルを乗り越えさせたところで子供に力は付きません。真の力を子供に付けるためには、子供自身が責任を負い、次に繋がる行動を自分で考えて実践し続けていかなければならないのです。                 

 人生で大きな失敗をしないために、日常の小さな失敗からたくさん学び、小さいうちに「自己調整能力」を身に付けられるように、家庭でも学校でもほんの少し工夫をしてみませんか?

言葉と心根

                           校長  小 林 香 織

 

 令和6年度も前期がもうすぐ終わろうとしています。この半年、様々な行事や学校の取組にご協力いただき、本当にありがとうございました。10月からの後期も何かとお世話になります。よろしくお願いいたします。

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 さて、最近インターネットで、次のような記事を目にしました。

公園に親子Aが来た。工事の若いお兄さんが謝る。子供は残念そうにうなだれる。すると母親が「せっかく来たのに。なんで昼間にやるんだろうね」と言う。すると、その横を「寒い中、お疲れ様です」と過ぎ去る別の親子B。

 これを読んで、皆さんはどちらの母親の言葉に共感しましたか?

 『子どもを遊ばせたかった』という気持ちの強い母親Aでしょうか?それとも『子どもたちのためにありがとう』という気持ちの母親Bでしょうか。

 この記事を書いた人は次のようにまとめていました。

植物は日光で育ち、子供は言葉で育つとしたら、後者の方がきっときれいな花が咲くと思う。

 どんなにきれいな洋服を着たり、かっこいい車に乗っていたり、高い肩書きがついていても、言葉がぞんざいだったり汚かったりすると、一瞬でその人の価値は地に落ちてしまいます。

 なぜなら、とっさに口から出る言葉はその人の心根の鏡だからです。日頃から感謝の気持ちをもって物事にあたる人の言葉は、優しい言葉になります。自分中心の心根で物事にあたる人は、とっさの時も自分中心の言葉が出ます。

 皆さんはどちらでしょうか?そして、子どもたちをどちらの人のように育てたいでしょうか?

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 言葉は人を温かく包み込むこともできる反面、選択を間違えると、人に突き刺さる凶器にもなります。言った方は大して気にしていなくても、言われた方は、ともすると一生気にしたり恨んだりして傷が癒えないまま…ということもあります。

 子供たちを取り巻く大人の浴びせる言葉が、子供たちを優しい心根の持ち主にするか、嫌みな心根の持ち主にするかを左右します。直接子供にかけた言葉ではなくても、日常生活の中で取り交わされる言葉を、子供たちはその心根と一緒に吸収していきます。

 学校でも家庭でも地域でも、子供たちにかける言葉に、ちょっとだけ気をつけていきたいですね。

 子どもを大人扱いしてみませんか?

                                                                                                                             校長  小 林 香 織  

 28日間の夏休みが終わりました。例年より少しだけ長い休みでしたが、子どもたちはたっぷりと満喫できたようです。8月集会のときに「夏休み満足しましたか?」と質問したところ、全員が「満足!」と手を挙げていました。

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 さて、世の中には様々な人がいます。2022年4月から成年年齢が18歳に引き下 げられました。法律による年齢の区切りはあるものの、いつまでも子どもな大人もいれば、すでに大人といえる子どもも存在します。人はそれぞれに異なったペースで成熟度を重ねていきます。そう考えると、大人か子どもかという区別は年齢だけで決めるのは難しいところです。親としても「いつまでもかわいい子どもでいてほしい」反面「早く大人になってほしい」の両面があるのではないでしょうか。

 そこで、子どもであること、大人であることそれぞれのメリット・デメリットを考えてみたいと思います。

 子どもであることのメリット・デメリット

   メ:泣けば大抵のことの責任から逃れられる。

   デ:責任を伴わない権利はないので、大人の言うことに従わなければならなくな

     る(言いなりになる)

 大人であることのメリット・デメリット

   メ:責任を引き受けることで、自分の手でコントロールできる物事が増える。

    (信用が生まれる)

   デ:自分で行うことへの社会的な責任を負わなければならない。

 こうしてみると、どちらにも『責任』という言葉が関わっています。

 自分の決めたことを貫くことも、誤った言動を取ったときに謝罪することも、どちらも『責任』。自分が行ったことに対して責任を持つことは、大人の世界では当たり前のことです。しかし子ども扱いされていると、『自分の言動に責任を持つこと』はいつまでも身に付かないものです。

 最近、本校の斉藤養護教諭から次のようなお話を聞きました。

 知り合いのあるお母さんが、お子さんに「自分の食べられる量のご飯をお弁当として持って行きなさい」と伝えたそうです。食べてみて少ないと感じても、多かったと感じても、自分で盛ったのだから自分の責任。お子さんは、何度か挑戦するうちに合う量を見つけたそうです。

 些細なことに感じるかもしれませんが、まずは自分のことに自分で責任を持たせることからスタートするのも良いのだと思います。

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 最近のニュースを見聞きすると、責任と権利のバランスが崩れてきているなぁ…と感じることがあります。責任を伴わずに権利だけを主張する人が得をして、権利を主張せずに責任を引き受ける人が損をするような事案が増えているように思えます。責任から逃げ回ることは、自らの成長する機会を失い続けているのと同じです。年齢によらず、「自分の言動に責任を持つことのできる人間」に子どもたちを育てるためにも、学校でも家庭でも、少しずつ『大人扱い』してみませんか?

 

「ほったらかし」のすゝめ

                                                  校長  小 林 香 織

 6月末に6年生の修学旅行、先日は3~5年生の宿泊研修を無事終えることができました。行事が1つ終わると、なんとはなしに子供たちが少し成長したように感じます。それは、みんなのことを考えて準備を進めたり、予想外のことが起きてもみんなで対処を考えたりするなど、行事があるその日だけ特別に何かをするのではなく、子供たちのこれまでの学びが結実するからなのでしょう。

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 明日から子供たちが待ちに待った夏休みです。夏休みの計画を考えながら、夏休みだからこそのイベントを楽しみにしているようです。

 そんな中、夏休みの自由研究などで、頭を悩ませている子供たちもいなくはありません。そんな時に保護者の皆さんはどうされていますか?たぶん、一緒に考えてあげたり、手伝ってあげたりしていませんか。

 夏休みに限らずですが、子供たちにはある程度の「ほったらかし」が必要だと感じています。「ほったらかし」といわれると、放任のように感じられるかもしれませんが、違います。

 子供が、自分のやりたいことをやりたいように夢中になってやっているときは、保護者は手も口も出さない。また、子供が行き詰まっているときは、相談には乗るけれど手は出さない。要は、子供がハードルや壁にぶつかっても、自分の力で乗り越えられるように「見守る」というスタンスを貫くということです。

 乳幼児のときは、十分の十、手をかけなければなりませんが、年齢が上がるとともに、手をかける割合は減っていきます。1年生でも、“一緒にやってみる”や“お手本を見せる”ことで、自力でできることがどんどん増えていきます。6年生ともなれば、ほとんどが自力でできるようになります。

 夏休みという長期のお休みだからこそ、子供自身が計画を立て、じっくり時間をかけて、夢中になって取り組む姿を「ほったらかし」してみませんか?

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 十数年前にテレビの街頭インタビューで、「お子さんの面倒をを何歳まで見ますか?」という質問に、「えー、40歳くらい?」と笑顔で答えていたお母さんがいました。私は「えええええっ!?」と、テレビを二度見してしまいました。

 子供が精神的にも、経済的にも自立するためには、「自分でなんとかする」という経験を小さなことから積んでいく必要があります。「這えば立て、立てば歩めの親心」といいますが反対に「かわいい子には旅をさせよ」という言葉もあります。子供を成長させるための「ほったらかし」おすゝめです。