- 現在、鶴居中学校は令和7年3月完成をめざして大規模改修工事を行っています。改修工事の様子はこちらをご覧ください。なお、改修工事に伴う来校時の駐車場についてはこちらをご確認ください。(R5/7/10)
- ホームページもリニューアル作業中です。(R5/7/10)
- 「よくわかる! 鶴居中学校」はこちら。
鶴女房-昔、傷ついた鶴を助けたひとりの貧しい若い男の家へ、美しい娘がきて妻になり、珍しい織物を織って恩返しをする。作業中は機場を見ないよう約束をしたが、男がその約束をやぶったことで、正体を知られた鶴は鶴の姿に戻り男のもとから去ってしまった…。
日本の民話の一つです。地域によってその内容や設定が異なり、鶴を助けたのが老夫婦というのもあれば、老翁の一人暮らしであったりもします(鶴の恩返し)。保護者や地域の皆様の中には木下順二氏の「夕鶴」(教科書に掲載されていた時期もあるので)を思い浮かべる方もいるかもしれません。
兵庫県市川町の鶴居地区には、この鶴女房の後日談ともいうべき伝説が伝わっているそうです。
-鶴が去った男のもとには、水を入れた皿に針をおいたものが残されていた。これを姫路・書写山の座頭(僧)に見てもらうと、「針は播磨を、水と皿は皿池を指す」と教えられた。妻となっていた娘に会いたいと願い、男は播磨の国にある皿池へと向かい、そこで鶴と再会した。しかし鶴は「お幸せに」と告げて姿を消した…という話。
ここで登場する播磨の皿池が、現在の市川町鶴居地区にある「皿池」のことで、地元ではこの話を地域おこしに役立てようと取組が行われているそうです。
この市川町にある市川町立鶴居中学校とは、同じ名前の学校として平成12年から鶴居村中学生派遣交流事業の受入で大変お世話になってきました。現在の2・3年生はコロナウイルス感染性の影響で訪問ができませんでした。そして残念なことに市川町の鶴居中学校は今年度いっぱいで統合となり、同じ名前の学校がなくなってしまいます。本当に残念です。
平成30年に私は前任校の幌呂中学校の校長として、現在の高2の生徒たちとともに、2泊3日の旅程で市川町を訪問しました。このときは、2日目の夜に台風20号が兵庫県に上陸、縦断し、日中の気温が35℃を超える猛暑日が続く中での旅でした。市川町を訪れたとき、市川町役場や鶴居中学校の生徒、先生方、保護者の方々、そして同窓会の方々から受けた心温まる歓迎は、事前に話は聞いていたものの、想像以上のもので、その「おもてなしの心」に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
さらに私にはこの旅で忘れられない出来事があります。最終日の伊丹空港から羽田空港への飛行機が、前日の台風の影響で1時間10分遅れで出発。羽田に到着したときには、乗り継ぐ予定の飛行機はすでに釧路に向かって飛び立ってしまっていました。混乱の中、その後は、急遽、鶴のマークの釧路行き最終便を添乗員さんが手配し(大奮闘でした)、無事に鶴居村に帰ってくることができました。空港内で時計を見ながら添乗員さんからの連絡を待つ私に、声をかけ事情を知った航空会社の8人のスタッフの方が、すぐに私たち専用の手続きカウンターを設置してくれました。そして出発時刻を過ぎているのに笑顔で私たちを迎えてくれた飛行機の客室乗務員の方々、いやな顔を一つも見せずにいてくれた他の乗客の人たち。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「恩返し」ににた言葉で「恩送り」という言葉があります。受けた親切や善意を直接相手に返すのではなく、ほかの誰かに送ること。この旅でお世話になった市川町の皆さん、市川町立鶴居中学校の皆さん、航空会社の方々、添乗員さん、そして私たちをこの旅に送り出してくださった鶴居村教育委員会をはじめ、鶴居村の関係者の皆様には、今でも感謝の気持ちでいっぱです。私が受けたこの恩を、機会あるごとに伝えていくこと、これが私ができる「恩返し」と「恩送り」の1つだと思っています。
1月最後の朝会は、オンラインによる朝会でした。その朝会の中で次のような話をしました。
「今○ら」~この○の中にどんなひらがな一文字を皆さんなら入れますか?
「か」なら、希望や期待といったイメージの言葉になり、「な」であれば、決意や勇気、一歩前へ踏み出すといったイメージになります。そして「さ」なら、あきらめや後ろ向きのイメージの言葉になります。
新しい年を迎えて1ヶ月がたちました。皆さんの「今」はどれでしょうか。「今さら」とあきらめの気持ちを持つのではなく、「今から」「今なら」という気持ちを大切にして、残り2ヶ月、過ごしていってほいたします。
江戸時代末期の長州藩(現在の山口県)に吉田松陰という人物がいました。目標に向かう自分の気持ちを志とし、その志を大切にしながら、日々実行していました。そして「志定まれば、気盛んなり」という言葉を残しました。志とは、心に決めた目標に向けて進もうとする気持ち、決心のことです。したがってこの言葉の意味は、目標への気持ちが志としてはっきりすれば、おのずとやる気や意欲が生じるということです。
加えて吉田松陰は、目標を決めるだけでは十分ではない、なぜその目標を定めるのか、その目標を達成する意味は何か、と目標への意味を自分で明らかにしたり、価値あることだろうかと自分でしっかり考えたりすることが大切と教えていたようです。つまり気持ちが入り強い意志があれば、目標について志を持ち、気持ちは高まり盛んになる、そして自分という人間の立ち位置が定まるというわけです。
さらに吉田松陰の言葉の中に「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術を試すべきである。何も着手に年齢の早いおそいは問題にならない」というものもあります。志を決め実行する行動力は何歳になっても持つことができ、いつでも人はやり直しができるということです。まさに、「今さら」ではなく「今から」「今なら」ということですね。
後期後半がスタートして授業日数でいうとすでに12日が過ぎました。年度終了の節目までは3年生は29回(入試の関係で少なくなる人もいます)、1・2年生は35回の登校です。生徒たちには冬休み前の集会で「一年の計は元旦にあり。節目でしっかりと目標を立ててほしい」と話をしました。残り2ヶ月 間、新しい学校や新しい学年に向けて、志と強い意志を持って過ごしていってほしいと思います。
オミクロン株の急速な広まりにより、コロナウイルス感染症が拡大、まん延防止等重点措置となりました。学校では行事の延期など、様々な感染症対策を行いながらの教育活動となります。引き続き、保護者、地域の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
12月21日の朝は、雪の中の登校でした。玄関前を職員が作業をしていたところ、登校してきた生徒たちが一緒になってスノーラッセル(スコップ)を持ち、除雪を手伝ってくれていました。生徒たちが主体的に行動する姿がとてもうれしくそして誇らしく思いました(ただ、道具には数に限りがあります。自分もと思いながら歩いていた生徒もいたと思っています。)。
明日から21日間の冬休みになります。冬休み中は、大晦日やお正月などの年末年始の行事もあり、ご家族で過ごす時間も多くなると思います。休みに入る前の12月集会では生徒たちに「おせち料理」について話をしました。日本には素晴らしい伝統文化があります。テレビ番組やインターネット、SNS等でも関連する情報が多く流れます。生徒たちにはぜひ「日本のよさ」について考え、実感しながら、家族で楽しい時間を過ごしてほしいと思っています。
さて、新しい年を迎えるとき、「笑う門には福来たる」という言葉があります。「門」は家庭や家を表しています。「いつも笑いが絶えない家庭には、幸運が訪れる」という意味になります。お正月遊びの「福笑い」が語源のようです。このことについて次のような記事を見つけました。
箸を横にして歯でかみ、笑顔に近い表情をつくる。すると脳内でドーパミン系の神経活動に変化が出てくるという。ドーパ
ミンは快楽に関係する。人は楽しいから笑うが、笑顔をつくるから楽しくなるという逆の因果関係もあるようだ。同じように箸をかみながら漫画を読むと、より面白く感じるという実験結果もある。…(略)…、笑ってみると少しだけ前向きになる気がするのだ。…(略)…、笑い顔には周りに「感染する」という研究もあるそうだ。(池谷裕二著「脳には妙なクセがある」)
さらに調べてみると「笑顔の方がチョコレートより脳内により多くの喜びを引き起こす。笑顔1つで2,000個ものチョコレートバーと同じレベルの脳内刺激を生み出す。」や「作り笑いでさえ気分上昇へとつながる。笑顔をつくることで喜びを感じるようになる。」「笑顔は寿命にも関わる。野球選手の移ったベースボールカード。笑顔で写っている選手の平均寿命が80歳。そうでない選手は73歳。ということは、笑顔は7年多く命を延ばしてくれる」などなど。あらためて「笑顔」の力には驚かされます。「感染」というと苦しくて嫌な気持ちになりますが、笑顔の感染は広がってほしいところです。マスクをしていても笑顔にはなれる、笑顔は伝わるはずです。
新型コロナの収束が見通せない状況が続いています。学校は感染症対策を講じた上で「できる方法」を考え、前向きに教育活動に取り組んできたところです。保護者や地域に皆様には、従来とは異なる対応となることもあり、ご迷惑やご負担をおかけすることが多かった1年だったと思います。皆様のご理解とご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。 それでは笑顔でよい年をお迎えください。
12月3日(金)にタンチョウ越冬分布調査が行われます。本校からも1・2年生がこの調査に参加します。調査は14地点。3~4名で班を編制し2年生が班長となり、バス(一部徒歩)で移動し調査を行います。この調査は「タンチョウの越冬分布・規模を把握する調査活動を通して、基本的なタンチョウ保護の歴史について学ぶ」ことをねらいとして実施されます。そこで私も改めて鶴居村史などに目を通し、タンチョウ保護の歴史について調べてみました。
タンチョウは明治時代の乱獲、生息地である湿原の開発によって生息数が激減し、絶滅したと思われていました。しかし大正13(1924)年に釧路湿原で十数羽が再発見されその保護が検討されるようになり、昭和10(1935)年、釧路湿原の一部が「釧路丹頂鶴繁殖地」として国の天然記念物に指定されました。鶴居村が鶴の居る村として舌辛村から分村独立したのがちょうどこの頃(1937年)のことです。そして昭和27(1952)年には国の特別天然記念物に指定され、国や自治体による保護活動も講じられるようになりした。
この昭和27年は今回実施するタンチョウ越冬分布調査が始まった年でもあります。このときの鶴居村を含むタンチョウの生息数は33でした。そして、猛吹雪の中、数羽のタンチョウが畑に置かれた冬の保存用トウモロコシを食べに来ているのを、幌呂小学校の児童が発見し、給餌に成功したのもこの年です。その後、各所で給餌活動が行われるようになりました。昭和37(1962)年から下雪裡小学校で子供たちと一緒に渡部トメさん(故人)が給餌を行っていた「鶴見台」、昭和41(1966)年から中雪裡で給餌を始め、昭和62(1987)年には自らの土地を提供し、日本野鳥の会と共同運営で「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」を設立した伊藤良孝さん(故人)など、多くの村民の方々がタンチョウ保護に力をそそぎ、冬の餌不足が解消されたことで生息数は増加、1000羽を超える数となっています。
こうしたタンチョウ保護の取組が進むことで、タンチョウやそれを見ようとする観光客の畑への侵入やタンチョウによる食害といった農業被害、タンチョウの人慣れによる車や電線への接触事故などの問題もおきています。また、国はタンチョウが自然状態で安定的に存在できるよう繁殖地及び越冬地の分散を促す「タンチョウ生息地分散化行動計画」を策定し、平27(2015)年から国の委託給餌場(サンクチュアリや鶴見台など)の給餌量を減らす取組を行っています。令和(2019)年には、村内の小中学生も参加しての「タンチョウフォーラム」が開かれ、タンチョウとの共生に向けた取組が話し合われました。そこではタンチョウ保護の発祥地として責任と気概を持ってタンチョウ保護を続けるとありました。タンチョウの保護と観光、共存のあり方が新たな課題となっているようです。
鶴居村史の中に「牛がいて、タンチョウもいるのが鶴居の 風景」とありました。生徒たちには鶴居村民として、タンチョウに対する関心をしっかりと持ち、この鶴居の風景のこれからについて考えてほしいと思っています。
朝夕はめっきり冷え込み、釧路地方でも氷点下を記録するなど、秋も深まってきました。
10月2日に行われた第60回鶴中祭は、コロナ禍での開催となり、保護者の方々の観覧を学年別に制限させていただきましたが、生徒たちの発表を直接見ていただくことができ、とてもうれしく思っています。今年は昨年の内容に加え、声を発することなくできる、体育(ダンス)と音楽(リズム)の授業がコラボした生発表をステージ上で行いました。「コロナ禍だからできない」ではなく、「コロナ禍でも工夫してできる」取組だったと思っているところです。全校生徒、先生方、そして保護者の皆様に感謝の鶴中祭でした。
10月16日から3年生は修学旅行に行ってきました。5月、そして8月と2度の延期。先生方は何度も計画を立て直し、実施に向けて準備を進めてくれ、出発の日を迎えました。2日目のルスツでは早朝に初雪。しかしその後は晴れ間も見え、遊具に乗ることもできました。気温が低かったものの、他の屋外での活動は雨にあたることもほとんどなく、たくさんの体験をすることができました。保護者の方々のもとを離れ、クラスの仲間と過ごした4日間は生徒たちにとって貴重な時間となりました。実施に向けて支えてくださった鶴居村、鶴居村教育委員会、旅行会社、受け入れの施設、保護者の皆様、先生方に感謝の旅行でした。
また、10月5日の一日防災学校(1年生)、19・20日の職場体験学習(2年生)では、地域の皆様に大変お世話になりました。ありがとうございました。
さて、話は変わりますが、文化庁が行った「令和2年度国語に関する世論調査」の結果が、先日、公表されました。この調査は平成7年度から、社会状況の変化に伴う日本人の国語に関する意識や理解の現状について、全国の16歳以上の個人を対象に毎年実施されているものです。今回の調査では、「生活の変化とコミュニケーションに関する意識」についての質問がありました。その結果のいくつかを紹介したいと思います。
「マスクを着けると話し方や態度などが変わることがあると思うか」に「変わることがあると思う」と答えた人が62. 4%でした。また、「変わることがあると思う」と答えた人に対して「マスクを着けると変わることがあると思う点」を聞いた(複数回答)ところ、下の通りでした。
(画像出典:文化庁)
マスク着用により、会話のスタイルは変わってきています。マスクを着用していないときと比べて口元が見えない、表情がわかりにくい、声が通りにくいなどのマイナス面があります。
現状では感染予防のためにマスク着用は必要なことで、変化した会話のスタイルはなかなか元に戻せそうにありません。それが「新しい日常」となっています。その中でよりコミュニケーションを円滑に進めるためには、相手意識をしっかり持ち、さらには上記の「マスクを着けると変わることがあると思う点」の選択肢を今後の生活に生かしていくことが大切なのだと思っているところです。
鶴居村立鶴居中学校
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